The Medium is the Message
/書誌情報
The Medium is the Message (from Understanding Media), 1964.
Noah Wardrip-Fruin and Nick Montfort ed. The New Media Reader. MIT Press, 2003, pp. 203 - 209.
Original Publication
The Medium is the Message from Understanding Media: The Extensions of Man. McGraw-Hill, 1964.
/Further Reading
Lord, Albert Bates. The Singer of Tales. Cambridge: Harvard University Press, 1960.
McLuhan, Marshall, and Quentin Fiore. The Medium Is the Massage: An Inventory of Effects. New York: Random House, 1967. McLuhan, Marshall, and Quentin Fiore. War and Peace in the Global Village: An Inventory of Some of the Current Spastic Situations That Could Be Eliminated by More Feedforward. New York: McGraw-Hill, 1968. Postman, Neil. Amusing Ourselves to Death. New York: Viking Penguin, 1985.
Stearn, Gerald Emanuel, ed. McLuhan, Hot & Cool: A Primer for the Understanding of & a Critical Symposium with a Rebuttal by McLuhan. New York: Dial Press, 1967.
/イントロダクション
「メディアがメッセージである」という提言は、メディアそのものがコンテンツの重要性を圧倒するという考え方を広めた。現在は広く知られている。マクルーハンはメディアが人間の能力や身体を拡張すると説明した。
彼の著書『メディアの理解』は、従来の学者から批判を浴びました。
/本文紹介
1. 「メディアはメッセージである」の意味
メディアの「メッセージ」とは、そのメディアが運ぶ「内容」ではなく、そのメディアが登場したことによって生じる「尺度、速度、パターンの変化」であると定義している。
「内容」と「メッセージ」の違い:
鉄道や飛行機の「内容」は「移動」だが、「メッセージ」は社会機能の加速や、都市・人間関係の形態を変化させたことにある
電灯には「内容」が存在しないが、夜間の活動を可能にし、人間の行動パターンを変えたため、それ自体がメッセージである。
メディアの「内容」に注目することは、メディアの本質的なメッセージから目を逸らさせる「目隠し」のような役割を果たしてしまう。
かつての機械技術はプロセスを分業化したが、電気技術によるオートメーションは物事を統合的に扱い、人間的な関与や関係性を深く復活させる。 2. テクノロジーに対する誤解と無感覚
多くの人はメディアやテクノロジーがもたらす本質的な環境変化に気づかず、表面的な「使い方」や「内容」ばかりに注目していると批判されている。
「使い方が問題」という誤り:
デイヴィッド・サーノフ将軍の「技術自体は善でも悪でもなく、使い方が価値を決める」という主張は、メディアが及ぼす心理的・社会的影響への無関心を象徴している。マクルーハンはこれを、ウイルスやアップルパイに「使い方次第」と言うようなものであり、技術が持つ不可避な影響力を無視していると批判する。 知覚の麻痺:
新しいメディアの導入は衝撃が強いため、人々はその本質的な影響に対して無感覚であり、麻痺に陥る。
アーノルド・トインビーのように「内容によってメディアの影響に対抗できる」と考えるのは誤りであり、メディアの影響は意見や概念のレベルではなく、感覚の比率や知覚パターンを無意識のうちに変えてしまう点にある。 3. 連続性から全体性への移行
歴史的な事例や芸術を通して、メディアが社会構造や人間の思考様式をどう規定してきたかが説明されている。
活字文化の影響:
活字印刷技術は、社会に「均一性」「連続性」「線形性」をもたらした。
電気文化と全体的知覚:
電気による瞬時性は、活字の「連続性」を終わらせ、物事を全体的な構造として捉える知覚へと人間を引き戻している。
キュビスム: 視点を固定する遠近法を放棄し、対象を多角的・全体的に捉えることで、電気時代の「全体的知覚」を体現した。 戦略兵器としてのメディア: Napoléon Bonaparteはメディアの「文法」を戦略的に理解しており、「3つの敵対的な新聞は、1000本の銃剣よりも恐ろしい」と、その構造的影響力を軍事力と同等に評価した。 4. 文化の衝突と電気時代の「無感覚」
電気的な速度(瞬時性)が活字の「連続性」を破壊し、人間の知覚や文化、罪の概念までも変容させている状況を分析している。
インドへの道: 西洋の理性(視覚的・機械的)では、東洋(口頭的・電気的)の全体的な場を理解できず、因果関係が崩壊する様子を描いている。 精神的な破綻: 電気的な速度による情報の無秩序な混合(先史文化と現代商業主義の同居)により、伝統的なアイデンティティが破壊され、人々は「根こそぎにされる」ような精神的破綻を負う。
罪と適合者の定義変化: 活字文化では「均一に振る舞う人」が適合者とされたが、役割を重視する口頭文化では、排除されていた人々(子供、障害者など)も独自の役割を得る。また、犯罪も個人の意志よりテクノロジー等の外的要因(環境)の影響として捉えられるようになる。
5. メディアの本質的な支配と分析手法
メディアの影響を正しく理解するためには、内容分析の限界を知り、メディアを社会を構成する「天然資源」や「環境」として捉える必要がある。
コンテンツ分析の限界: Wilbur Schrammのテレビ研究の失敗にみられるように、好みや語彙数などの「内容」にこだわる限り、メディアという形態が社会に与える本質的な影響(魔力)は見抜けない。 正しい調査法: メディアの影響を知るには、そのメディアが存在しない環境と対照実験的に比較する必要がある。
「固定費」としてのメディア: メディアは、アメリカ南部における「綿花」や大都市における「新聞」のように、コミュニティの精神生活を規定する「主要な必需品(天然資源)」である。
Carl Gustav Jungの心理感染: ローマ人が奴隷の雰囲気に囲まれて内面的に奴隷化したように、人間はメディアという環境の形態的特性(活字の線形性など)に無意識のうちに「感染」し、知覚パターンを書き換えられる。 自由と均衡の喪失: 教皇ピウス12世が警告したように、技術と人間の反応能力のバランスが崩れれば、人間はメディアという「壁のない刑務所」に閉じ込められる。メディアの本質(形態)を理解しない限り、目的地を知らずに銃を持つA.J. Lieblingの比喩のように、真の自由は得られない。